onorichan’s blog

平穏を愛する私と夫と息子とうさぎの暮らし。生活スタイル模索中な日々を綴ります。

思い出が多すぎて、2025

おはようございます、onorichanです。

 

先日の夫ととあるご当地ラーメンの話になり、

「旅行に行ったときに食べたよね」と私。

「え、そうだっけ」と夫。

まだ息子が生まれるよりもっと前だけれど、夫と二人で旅行に出かけた際に食べたのだ。私好みのあっさりラーメンだった。

旅先は夫の学生時代に住んでいた地。

旅行に行ったことは覚えているけれど、その時ラーメンを食べたことは忘れたそう。

ただ、以前そのラーメンを食べたことは覚えているのだそうで、

それは友人と行ったという記憶なのだという。

その記憶、私と言った記憶が友人との記憶とすり替わっているというわけではない。

というのも旅行に行った際に友人と食べに行ったという話を当時の私にも話していたから。

つまり友人と行ったことは覚えているけれど、私と行ったことは忘れているというわけだ。

 

そんな会話をしていて、もう一つの記憶が呼び起された。

家族でたまに行く場所がある。車を少し走らせたところにある地だ。

ふとある時私が

「ねえねえ、そう言えばここって二人で一番最初に出掛けたところだよね」

と言うと、

「え、そうだっけ」

と夫。

 

また忘れている。そう思い一応夫に問うてみる。

「むしろ、私との記憶で覚えていることってあるの」

そう聞くと夫は少しにやりと笑い

「思い出が多すぎるんだよ」

 

うまいこと言ったみたいな顔をして…決してうまくはないのだよ。

 

 

まあ、そんなことを言いながら

夫がすべて忘れていて私がすべて覚えているというわけでは無い。

結婚記念日は特に。

毎年1,2週間前に「あ、もうすぐだ」と思い出し、いつのまにか過ぎ去っている。

翌週あたりにはっと思い出し、

「ねえねえ知ってた?結婚記念日終わったよ」

と伝えると

「俺、覚えていたよ」としたり顔。

「なんだ、覚えていたなら言ってよ」と私。

でも私は知っている。夫もきっと当日忘れていた。

そして毎年、「今年で何年経ったんだっけ?」と会話する。

 

どちらかが覚えていることを重要とみなしていたらきっとこんな風には済まないのだろう。

これくらいが多分ちょうどよい、お互いにそう思っているに違いない。

 

 

そして今、なぜこれを思い出したのかと言うと、

もうすぐ結婚記念日だからなのだ。

そして毎年恒例、また思い出すのは翌週なのだと思う。

 

 

 

 

 

 

お読みいただきありがとうございました。

2月も半ば、春がだんだんと。

買い物に行くといちご味であふれていますね。

暖かくして春を待つ。

今日も一日、お疲れ様です。