こんにちは、onorichanです。
子どもが成長するにつれて
息子の生きる将来について考えることがあります。
今私たちが生きている現代。
私自身の未来についても先がどうなっているのかなんて予測を立てて備えたりすることはできても、実際に何が起こるかなんて誰にもわかりません。
私は元来心配性。
夫にもたまにそんなことで心配しなくてもと呆れられることがあります。
子どもの頃眠る前に、地球が無くなったらどうなってしまうのだろう、こうやって今考えている私の思考はどこへ行くのだろうなどと考え始めたら怖くなり眠れなくなることがよくあったのだけれど
そんな壮大なことを考えるのと同じように息子のことを考えるときが最近はあるのです。
こんな先の見えない現代に生を受けて、どうしようもできない何かが彼の身に起こったらどうしようと起こってもいない漠然としたことについて不安を覚えます。
特に私が亡き後にそんなことが起こってしまったら、私はそれを知ることも共感することも力を貸すことも嘆くこともできないのだなと考え呆然とします。
とは言え。
私もまだまだとは言え何十年かは人間をやってきているので、それだけでは終わりません。
ああ、私は息子と自分を切り離して考え切れていないのだなと考察。
私自身だって自分で考えて、夫や周りの方々の力を借りながらなんとか生きている。
息子だってきっと自分の力でやっていける。
そう思えることが大切だなと。
とは言え息子、まだまだまだまだ子どもなので。まだ成長過程。
そのやっていける力を蓄えられるように親としてかかわっていけるといいなと思います。
自分が心配ごとや悩み事、苦しいことに遭遇した時に
自身の心の中の「安心」や「安定」を引きだして来られる力を養えるように。
日々の関わり、一日一日、大切にしたいなと改めて思うのです。
それと共に息子が生まれてから考えることがあります。
私たちの住んでいる地域のこと。
息子が大きくなったときに
彼がどこに住むことになるのかはわかりません。
県外かも知れないし、海外かも知れません。
彼が自分で考え、望んだ地に住むことになるでしょう。
私も学生時代自分の育った地を離れて生活したときに
周りの他県の友人たちに自分の故郷について「どんなところ」と聞かれることがありました。
名物やなんかは出てくるけれど、意外と何も知らないことに気が付きました。
アピールしたくても自分の中にあまり持っているものがないのです。
折角自分の故郷をアピールできるのに、これじゃあ。
息子がもし、どこか別の地に行くことになったとして
自分の故郷のことを聞かれたときに
何も出てこないじゃ寂しいな。そう思ったのです。
ともすると、何もないところだよ、つまらないところだよ、なんて
ネガティブになったら尚更。
どこに住んでもいいけれど、
せめてどこにいたって、自分の故郷はこんなに素晴らしいところなんだとアピールできるような地であってほしい。そうしたい。そうするべきなのでは。
と思っています。
そしてそれは、自分たち親世代の仕事なのではと思うのです。
今のままで悪いところというわけではないですが、
でももっとできることはあるのだと思います。
なかなか子育てや生活で精いっぱいで考えたり実行したりする余裕がなかったりするのだけれど、
今の今だけ考えて生きて行ったら子どもが大人になったときにどうなるのだろう。
そう考えずにはいられません。
良いところを見つけるのは本人次第ですが、地盤くらいは必要。
経済力ももちろんですが、心も豊かに生きられるように。
それがきっと次に繋がるのではと思っています。
何をしたらいいのか模索中ではあるのですが、考え続けていきたいと思います。
お読みいただきありがとうございました。
週も後半。お疲れ溜まっていませんか。
深呼吸して参りましょう。
今日も一日、お疲れ様です。