こんばんは、onorichanです。
先日、息子と一緒に中学からの友人に会いに行きました。
友人にも息子と同い年の子がいるので、話題の主は子育て。
お互いに第1子で、いろいろなことに対して悩みながら育児と向き合っています。
神経質すぎるって言われるけれど、初めてで分からないことだらけなんだもんね。
とか
こういう時はどうしてる?
などなど、お互いに相談し合って励まし合ってきました。
気持ちの充電を胸いっぱいにして。
他の人の生活はどんなことにしても余裕があるように見えるけれど、
それぞれにいろんなことを悩んだり思考錯誤しているんだなと実感しました。
気持ちを共有できるひとがいることは本当に心強くて安心します。
「そうだよね、大変だよね。お疲れ様。頑張っているね。頑張ろうね。」
この言葉たちだけでも全然違う気がします。
子育てに限らず仕事でも生活でもそうですが、
「共感性」はすごく大切なことだなとつくづく思います。
今の自分の一番身近に感じることが子育てで、それに関してだと
今でもやはり「子育ては大変で当たり前。苦労して当たり前。辛くて当たり前」
というニュアンスはよく見聞きする気がします。
でも、悩んでいたり悪戦苦闘してるひとは、決して楽をしたいと言っているわけではなく、どうしたらいいのか、これでいいのだろうかと思いながら向き合っているということなのだろうと思います。
そういう言葉や態度を返す前に、共感はできるのではないかと思うのです。
これは子育てに関わらず、その他の生活や仕事などに関してもそうではないのでしょうか。
それは決して甘やかしとは違うのではないかと思います。
自分より良い境遇(だと思っている)の人が悩んでいると
「私はもっと大変」「たいしたことない」
その返答や思いは一体何のため、誰のためなのだろうとふと思うのです。
批判や疑問を持つことは大事なのだと思うけれど、それだけではバランスが悪すぎるし、自分の視野も価値観もちっとも広くならない。
批判の目ばかり養うことなく、共感の目も養っていきたいと常々思います。
夫にも子どもにも友人にも、多くの人に対して。
最近よく、パパと囁くように言う息子。
なぜささやきなのかと言うと、「パパ」と夫が息子の耳元でよく囁いていたから。
私が「ママは?」と聞くとにやりとして「いや!」「パーパ!」
ツンデレ息子め。かわいいな。
そして、私は「お父さん、お母さん」と呼んでもらいたかったのですが、すっかりパパママになってしまっています。
何となく私が「ママ」という感じではないので、小学校に上がるころにはお父さんお母さんになるようにシフトしたいところです。
お読みいただきありがとうございました。
良い夜をお過ごしください。